【2021年追記】2020年8月、新型コロナウイルスの影響で「国境」封鎖を余儀なくされる。観光客が来なくなったことで税金の支払いが困難になり、独立して50年、ここで公国としては終わりを迎えた。
こんにちは。
パーソナルスペースが小さく、ついつい人に近づいてしまう性質のわたし。親しい人ならなおさらだ。
ある日、河原町と烏丸間の地下道を友人と喋りながら歩いていた。
会話が盛り上がり、気付いたら左端から右端に友人を追いやるという(もちろんわたしは左側を歩いていた)所業をなしてしまった。
2人とも右端まで行って初めて気付き、爆笑。何故ならこの通路の真ん中には、一定の間隔で大きい柱が立っているのだ。
柱を超えた時点で気付かないものだろうか。
人との距離も分からない、テンション上がると自分の現在地も分からない、
どうも、タマゴです。
でもよく考えると、無意識に避けてるってすごない?!
逆に感覚研ぎ澄まされてる説。
Kalbarri National Parkを後にし、我々はHutt River公国へ向かう。
1 時間弱のドライブ。
ドライブ中、過去のすべらない話の小藪の話をまとめた動画を流していたら、あっという間に着いた。
Hutt River公国。ここの歴史をさらっと。
この広大な小麦畑にレオナード・ケースリーという男がいた。
1969年、WA州政府が小麦の販売量割当を決めたとき、レオナードの農場に割り当てられた販売量が十分ではなかった。
そこで他の5つの農場と連携し、WA州のトップに法案の撤回を要求。
しかしこれは無視され、むしろ、州政府が地方の農地を取り返す権利を認める法案の審議が進められた。
これは政府に農地を取られてしまう!
と、レオナードは国際法の『経済・土地が奪われる危機に瀕した際には分離独立することが出来る』の、規定に基づき、独立の準備を始める。
そして、再度WA州政府に、割当の修正か、補償金を支払わなければ独立するという内容を最後通告。
しかし、それに対する返答がなかった為、
1970年、レオナードの保有する75㎢の土地を” Hutt River 公国” とし
オーストラリアからの独立を宣言。
ちなみに、オーストラリアのトップは、WA州の問題は介入しないよー、と言い
WA州のトップは、国が介入しないと対応しないよー、と言っている。
オーストラリアの内閣的なとこは、領土侵害だとしたが、レオナードは、「国際条約に基づいた独立」と反論し、無視して小麦を売り続けた。
1977年、オーストラリアに宣戦布告。しかし数日で停戦を宣言。
なんだか熱い人だったんだね~
わたしたちが行ったときは、2017年にレオナードから譲位された4男坊グレイムさん、現ハットリバー公が直接対応してくれた。…たぶん。
オフィスには、忍者ハットリくんのお面が置いてあった。
日本人が来たか、ハットリくん大好きなどっかの国の人が置いていったのかなぁ。
日本のお金も飾られていた。日本だけでなく、全世界のお金あるんじゃないの?ってくらい並んでいた。
ちゃんと国ごとに並べられているところに、ハットリバー公の性格が窺える。
百円札まであるなんて!どんな人がここに置いていったんだろう、、
ロマンだ。ロマンティックが止まらない。
なにやら入国スタンプを押してくれるらしい。
そうやな、ここは別の国やからな!ハットリバー入国!!
はちおうじ いちょう祭り…誰が持って来た?ロマンだ。
しかも出国スタンプももう押された。入国、出国審査は甘々な国です。
無事入国した我々は、辺りを散策。
この入国審査した建物の隣に教会が建っている。
外観と中はこんな感じ。
なんかそれっぽい椅子に座って記念撮影。
と、事件はいつも突然に。
真ん中に座っていると思っていたわたし。撮った後の画像を見てびっくり!
めっちゃ端に寄ってるやん!!!
そのつもりで座ってるんかと思ったわ、というサルに対し、憤りを隠せない。
いや、んな訳ないやん!と責める。攻める。宣戦布告。
珍しくサルも食い下がらない。
いや、自分の座ってるとこくらい分かるやろ。
…分かるやろ?
友近の西尾和男ばりの”分かるやろ” いただきました。
わたしには分からんかってん、、となんだか悲しい感じで終戦。
やっぱりわたしには空間認識能力が欠けているらしい。。
そのあとはここのエリアより、少し奥の方にキャンプスペースがあるので、そちらまで移動。
キッチンの小屋と、トイレとシャワーの建物がある。
引き続き、すべらない話を聞きながら夕飯づくり。
食べ終わって、ほっこりするかと思いきや、おもむろにサルが動き出した。
挙動不審は突然に。
定期的にサルに訪れるアレだ。
この人、?サル?は、血流にやけに敏感だ。座りっぱなしだとすぐに、「滞った!」と騒ぎ出す。きっとどこぞのセラピストより、よっぽど ”滞った” と言っているに違いない。
!!!!
楽しいね〜
巻き込まれるわたし。
たっのし〜
そして全力疾走しだす。
もう怖い。こわいこわい…
でもこの瞬間の顔が、わたしたちが出会ってそろそろ1年近くなるが、その1年で1番のいい顔だったので、許そうと思う。
血は通ったかい?
そんな風にしてハットリバーの夜は更けていくのでした。
あれだけ身体を動かしたサルが、すぐに爆睡したのは言うまでもない。
翌朝、出国前にミュージアムへ。
ここでも日本のモノをよく見かけた。
そこでお土産も売っていたので、サルは旗を、わたしは紙幣を購入。
そして教会の椅子リベンジへ。
この時のわたしは、過去を塗り替えたくてしかたなかったに違いない。
今なら、もういいやん…と思うのだが、何かどこか悔しかったのだろう。
同じ服…? ど真ん中(超慎重)
無事リベンジ達成。
しかし、ここはやはりサルだ。
今になって気付いたけど、ここで写真撮るなら全身写せや!!この流れなら普通そうや、分かるやろ?
まさか、最初の構図と別の感じで撮られるとは、全くもっての予想外。なんでなん。まじで。この写真は椅子込みやろ。込みで、記念写真やろ。
ことごとく裏切られていることに、この時のわたしは全く気付いていない。
”ちゃんと椅子の真ん中に座る”という偉業を成し遂げた、清々しい気持ちで、出国の挨拶をハットリバー公にしに行く。
そしたら、近くにピンクレイクがあることを教えてくれた。
グレイムさん、ありがとう!行ってみるよ!
レオナードさんの銅像に見送られながら出国~!